脳と仮想

脳と仮想
- 茂木 健一郎
- 新潮社
- 460円
livedoor BOOKS
書評/サイエンス

気鋭の脳科学者・茂木健一郎氏が放つ、脳と仮想の関係についての論考。
たかだか1リットルほどの身体器官にすぎない「脳」に宿る「心」とは何か?という問いが、幅広い分野の科学論や文学作品を引きながら展開されていく。脳と心、という複数の分野が入り組んだこの問題に、医学や生理学からというよりは、哲学に近い立場でアプローチしていく。
著者がふと耳にした、5歳くらいの女の子が放った「ねぇ、サンタさんって、いると思う?」という問いかけが、本書を貫く「仮想」の本質を追究する出発点となっている。
サンタクロース、という言葉から私たちがイメージする、赤と白の衣装を身につけ、白ヒゲの太った老人というのは、まさしく仮想であり、大人なら誰もサンタクロースが現実に存在するとは信じていない。
「現実」に依らない「仮想」は、科学的でない、と「科学者」たちは言う。それならば、科学が依って立つ「現実」とは何か。今、私たちの目の前にあるコップだって、目が捉えた情報を脳が処理し、手が触れた感触を脳が認識することによって「存在する」ことにしているだけではないのか。それならば、私たちが信じる「現実」と「仮想」の境界はどこにあるのか?
こういった、エキサイティングでありながら、読者も一緒にじっくりと考えることのできるような論が展開されていく。
そして、著者の茂木氏といえば「クオリア」というキーワードで知られるが、このクオリアについての論も興味深い。
クオリアとは、数値で表現することのできない質感のようなもの。「赤」という色は、光の波長によって表現されるが、そうして数値化される範囲から外れた、「赤」の質感を私たちは日々、感じ取っている。
そして、その「赤」にしても、私が感じる「赤」と他人が感じる「赤」とが同じものである保障はどこにもなく、それぞれの心の中にそれぞれの「赤」が存在する、ということになる。
自分の経験で考えてみると、プロ野球の試合を観戦するには、球場に足を運ばなくても、テレビ中継で十分な情報を得ることができる。むしろ、テレビのほうが選手の表情や詳細なデータを見ることができるし、経験豊富な解説者による説明を聞くことができる。しかし、なぜ時間とお金をかけて球場に足を運ぶのか。
それはおそらく、多くの観衆たちと一緒にひとつのボールの行方を追い、共に固唾を呑んで試合展開を見守り、応援するチームがチャンスをものにしたときに一緒に沸きあがる、そういった空気の中にあって感じる「雰囲気」は、数値や論理的表現であらわすことのできないものだと思う。
きっと著者が本書を通じてもっとも主張したくて、もっとも印象的だった箇所を要約してみる。
「他者の心」というものを本当に理解することなど不可能である、と誰もがわかっているのにもかかわらず、「わかり合う」「心が通じる」という経験を誰もが求めている。自分と他者、という絶対的な断絶に満ちたこの世界において、私たちが真に求めているのは、本当の他者理解などではなく、自分と他者の尊厳なのではないか。
本書は400円あまりで買える、240ページほどの文庫本である。しかし、じっくりと読み、読みながら考え、自分の身に置き換えて再び考え・・・としながらたっぷり味わうことのできる、中身の濃い良書だった。読みながら、自分の心に栄養が与えられているような、仮想に浸ることができた。
哲学に関する言葉も多く用いられているため、決してすらすら読み進むというわけにはいかないが、著者の言いたいことが多様な例を引きながら強調されているため、理解に苦しむといったことはない。それに、1つ1つの章のページ数が比較的少ないので、一気に読みきる時間がなくても苦にならない。
自分の心の中と外界との関係について、味わい深く考えるきっかけとなるこの1冊は、「科学」とか「現実」といった、確かな存在だと信じていたものについて、自分の内なる心を起点にして考え直す、貴重なきっかけとなる良書だった。満点。
評価(★5つで満点):★★★★★
■茂木健一郎氏のブログ「クオリア日記」 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
※茂木さんが、「笑っていいとも!」に出ていたことをこのブログで知りました。そのときの話は4/19の記事で読めます。
(蛇足)
著者の茂木氏は、ソニー・コンピュータサイエンス研究所に所属している。ちなみに、ソニーは2003年に「QUALIA(クオリア)」というブランド名で、ビックリするほど高価格のブランドを世に送り出している。
たとえば、ポータブルMDプレイヤーが18万円、46型液晶テレビが105万円、CDプレイヤーが84万円、など。
ソニーの商品情報サイトを見ると、すべての商品は生産完了となっているけれど、商業的にはどうだったんだろう。ちょっと気になる。
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